「第9回 しずおか町並みゼミ in 熱海温泉」レポート その5・熱海をまち歩く。 [しずおか町並みゼミ]
2013年1/26(土)午後、いよいよ熱海のまちを歩きます。
「熱海桜」も開花寸前!
ではでは、まいりましょ。
ぱらぽんたちが選んだコースは、
「熱海の歴史と文化をめぐる まち歩き」!
案内してくださるのは、「熱海まち歩きガイドの会」のお2人。
「熱海桜」の「糸川」を離れ、昔の色町の風情が残る界隈を行きます。
「鏝(こて)絵」が残る建物が、ここかしこに。
江戸前寿しの「森ちゃん」!
被災地のどなたかを励ました「タオル」を提供したお店ですね!
イタリアンなお店。ちょっと寄ってみたかった。
今は、タクシー乗り場ですが、以前はそういうお店だったらしい。
この近くに、「太宰治」が逗留した「村上旅館」があったらしい。
(くわしい説明を聞き逃しました。)
「走れメロス」のモチーフとなった「壇一雄」とのエピソードが残る旅館だそうです。
「初川」です。
「五十嵐邸を考える会」の方達が、
「旧五十嵐歯科医院」の五十嵐さんが、この川の近くに住んでいたことがあったらしい
と話されていました。
「生活を支えた井戸」の名残を説明してくれました。
熱海三大別荘のひとつ「起雲閣」。
大正8年に建てられ、和と洋が融合した当時では、斬新な建築物。
戦後、旅館として営業していた時代には、
谷崎や太宰など文人たちに好まれていたそうです。
入館料は500円。休館日は水曜日。
館内には喫茶室「やすらぎ」があるそうで、
お茶やコーヒーが飲めるそうです。(別途料金)
この日は、時間がないので、門のみ見学。
こちらが和風の建物だそうです。
そのお向かいにある甘味処「福屋」さん。
なぜか、「ET」!?紋付き袴をお召しになっています。
「起雲閣」から北へ。ここからはかなりな坂が続きます。
小説家・評論家・英文学者で、日本の近代文学の草分けである
「坪内逍遙」が眠る「海蔵寺」。
この階段の上にお墓があるそうです。
温泉はもとより、海山の景色、果樹や四季折々の草花を楽しみ、
熱海をこよなく愛した逍遙は、熱海の美点として
ただ単に温泉のみが喧伝(けんでん)されていることを憂いていたそうな。
岸衛熱海町長より依頼を受けて作詩した「熱海町歌(現市歌)」は、
「真冬を知らざる常春熱海」で始まり、
「わがこの熱海は世界の公園」とのフレーズで結ばれている、そうです。
ドイツで織物技術を修得した、日本の毛織工業創始の父と言われる
「井上省三(せいぞう)」氏の像がありました。
毛織物の製絨(せいじゅう)に一身を捧げた省三がもたらした製絨技術、
生産システムが各地に広まり、我が国の繊維産業の隆盛期がもたらされたそうです。
その先には、
早稲田大学「双柿舎(そうししゃ)」
坪内逍遙の別荘として建てられ、現在では早稲田大学が管理しています。
見学できるのは、毎週日曜日と逍遙忌記念祭の2/28、
10:00~16:00.庭園と書屋が見学できるそうです。
問いあわせ/熱海市役所0557-86-6232(月~金 9:00~17:00)
塀の外から見られたカワセミの風見鶏。
坂を上り詰めたところから、望む熱海湾。
遠く、「初島」が見えます。
JR「来宮駅」。
この建物は、建築物として貴重なもののようです。
瓦ですとか、使われている建材とか…。
すみません、充分に聴き取れてなかったので、ここで説明できません。
ごめんなさい。
JRの東海道線・伊東線・東海道新幹線をくぐって、
「来宮神社」に着きました。
こちらは、「来宮大明神」と称して、熱海郷の地主の神様。
「来福・縁起」の神として、古くから信仰されているそうです。
ここには、天然記念物の
「大樟(大楠)」があります。
樹齢二千年。周囲20m、高さ20mだそうです。
この幹を一回りすると、一年寿命が延びる、願い事がまとまるそうです。
さらに、「縁結び」にも御利益があるとか…!♪
細い路地を行くと…、
趣のある建物が!!
ぱらぽんの父「若ちゃ」の実家は、ペンキ屋さんだったのですが、
その作業場を思い出しちゃったりしました。
何かすごいものが…!!
こちらは、「大湯間歇泉(おおゆかんけつせん)」。
古来からの間欠泉で世界的にも有名な自噴泉で、
昼夜6回激しい勢いで噴出するため、地面が揺れるようであったそうですが、
大正12年に止まってしまったそうです。
昭和37年に人工的に噴出する間欠泉として整備され、
現在は市の文化財として保存されているそうです。
その隣には、
幕末に日英修好通商条約を締結した初代英国公使「オールコック」の碑と
その愛犬であったトビーの墓があります。
「オールコック」は愛犬トビーとともに、熱海温泉に湯治にやってきましたが、
トビーは「大湯間歇泉」の熱湯にふれてしまい、大やけどを負ってしまいました。
そのことを知った熱海の町民は、連日連夜必死で手当や看病をして回復を祈りました。
その甲斐もなく、トビーはこの世を去ってしまうのですが、
手厚く葬り、「大湯間歇泉」の横にお墓を建てました。
当時、生麦事件の後でしたので、
「オールコック」は日本のことを快く思っていなかったらしいですが、
この熱海の町民の行為に対して、いたく感激したのだそうです。
こちらが、日本における公衆電話の始まりだそうです。
お次は、こちら。
「温泉饅頭」発祥のお店がこちら。
「延命堂」さん。
うれしいことに、お茶と「温泉延命饅頭」を振る舞ってくださいました。
あったかくて、美味しい~!!ごちそうさまでした。
「熱海桜」にちなんだ羊羹も!
赤い巻物は桜の花と若葉入りの彩桜、緑の巻物は桜の若葉入りの薫り高い夜桜
だそうです。
お土産買っちゃいました!
これで、熱海「まち歩き」終了、熱海市役所 第3庁舎に戻ってきました。
「熱海桜」も開花寸前!
ではでは、まいりましょ。
ぱらぽんたちが選んだコースは、
「熱海の歴史と文化をめぐる まち歩き」!
案内してくださるのは、「熱海まち歩きガイドの会」のお2人。
「熱海桜」の「糸川」を離れ、昔の色町の風情が残る界隈を行きます。
「鏝(こて)絵」が残る建物が、ここかしこに。
江戸前寿しの「森ちゃん」!
被災地のどなたかを励ました「タオル」を提供したお店ですね!
イタリアンなお店。ちょっと寄ってみたかった。
今は、タクシー乗り場ですが、以前はそういうお店だったらしい。
この近くに、「太宰治」が逗留した「村上旅館」があったらしい。
(くわしい説明を聞き逃しました。)
「走れメロス」のモチーフとなった「壇一雄」とのエピソードが残る旅館だそうです。
「初川」です。
「五十嵐邸を考える会」の方達が、
「旧五十嵐歯科医院」の五十嵐さんが、この川の近くに住んでいたことがあったらしい
と話されていました。
「生活を支えた井戸」の名残を説明してくれました。
熱海三大別荘のひとつ「起雲閣」。
大正8年に建てられ、和と洋が融合した当時では、斬新な建築物。
戦後、旅館として営業していた時代には、
谷崎や太宰など文人たちに好まれていたそうです。
入館料は500円。休館日は水曜日。
館内には喫茶室「やすらぎ」があるそうで、
お茶やコーヒーが飲めるそうです。(別途料金)
この日は、時間がないので、門のみ見学。
こちらが和風の建物だそうです。
そのお向かいにある甘味処「福屋」さん。
なぜか、「ET」!?紋付き袴をお召しになっています。
「起雲閣」から北へ。ここからはかなりな坂が続きます。
小説家・評論家・英文学者で、日本の近代文学の草分けである
「坪内逍遙」が眠る「海蔵寺」。
この階段の上にお墓があるそうです。
温泉はもとより、海山の景色、果樹や四季折々の草花を楽しみ、
熱海をこよなく愛した逍遙は、熱海の美点として
ただ単に温泉のみが喧伝(けんでん)されていることを憂いていたそうな。
岸衛熱海町長より依頼を受けて作詩した「熱海町歌(現市歌)」は、
「真冬を知らざる常春熱海」で始まり、
「わがこの熱海は世界の公園」とのフレーズで結ばれている、そうです。
ドイツで織物技術を修得した、日本の毛織工業創始の父と言われる
「井上省三(せいぞう)」氏の像がありました。
毛織物の製絨(せいじゅう)に一身を捧げた省三がもたらした製絨技術、
生産システムが各地に広まり、我が国の繊維産業の隆盛期がもたらされたそうです。
その先には、
早稲田大学「双柿舎(そうししゃ)」
坪内逍遙の別荘として建てられ、現在では早稲田大学が管理しています。
見学できるのは、毎週日曜日と逍遙忌記念祭の2/28、
10:00~16:00.庭園と書屋が見学できるそうです。
問いあわせ/熱海市役所0557-86-6232(月~金 9:00~17:00)
塀の外から見られたカワセミの風見鶏。
坂を上り詰めたところから、望む熱海湾。
遠く、「初島」が見えます。
JR「来宮駅」。
この建物は、建築物として貴重なもののようです。
瓦ですとか、使われている建材とか…。
すみません、充分に聴き取れてなかったので、ここで説明できません。
ごめんなさい。
JRの東海道線・伊東線・東海道新幹線をくぐって、
「来宮神社」に着きました。
こちらは、「来宮大明神」と称して、熱海郷の地主の神様。
「来福・縁起」の神として、古くから信仰されているそうです。
ここには、天然記念物の
「大樟(大楠)」があります。
樹齢二千年。周囲20m、高さ20mだそうです。
この幹を一回りすると、一年寿命が延びる、願い事がまとまるそうです。
さらに、「縁結び」にも御利益があるとか…!♪
細い路地を行くと…、
趣のある建物が!!
ぱらぽんの父「若ちゃ」の実家は、ペンキ屋さんだったのですが、
その作業場を思い出しちゃったりしました。
何かすごいものが…!!
こちらは、「大湯間歇泉(おおゆかんけつせん)」。
古来からの間欠泉で世界的にも有名な自噴泉で、
昼夜6回激しい勢いで噴出するため、地面が揺れるようであったそうですが、
大正12年に止まってしまったそうです。
昭和37年に人工的に噴出する間欠泉として整備され、
現在は市の文化財として保存されているそうです。
その隣には、
幕末に日英修好通商条約を締結した初代英国公使「オールコック」の碑と
その愛犬であったトビーの墓があります。
「オールコック」は愛犬トビーとともに、熱海温泉に湯治にやってきましたが、
トビーは「大湯間歇泉」の熱湯にふれてしまい、大やけどを負ってしまいました。
そのことを知った熱海の町民は、連日連夜必死で手当や看病をして回復を祈りました。
その甲斐もなく、トビーはこの世を去ってしまうのですが、
手厚く葬り、「大湯間歇泉」の横にお墓を建てました。
当時、生麦事件の後でしたので、
「オールコック」は日本のことを快く思っていなかったらしいですが、
この熱海の町民の行為に対して、いたく感激したのだそうです。
こちらが、日本における公衆電話の始まりだそうです。
お次は、こちら。
「温泉饅頭」発祥のお店がこちら。
「延命堂」さん。
うれしいことに、お茶と「温泉延命饅頭」を振る舞ってくださいました。
あったかくて、美味しい~!!ごちそうさまでした。
「熱海桜」にちなんだ羊羹も!
赤い巻物は桜の花と若葉入りの彩桜、緑の巻物は桜の若葉入りの薫り高い夜桜
だそうです。
お土産買っちゃいました!
これで、熱海「まち歩き」終了、熱海市役所 第3庁舎に戻ってきました。
2013-02-03 11:06
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0