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「一祥庵・蔵のコンサート」村松絵理&居﨑圭「歌とピアノの午後」 [和食処一祥庵]

2015年 6/28(日) 15:30〜
藤枝市岡部町の大旅籠柏屋内の「和食処一祥庵」にて、
「一祥庵・蔵のコンサート」が行われました。

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演奏者は、メゾソプラノの「村松絵理」さんと、ピアニストの「居﨑圭」さん。

オープニングは、居﨑圭さんのピアノ。
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お客様は、満員。
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挨拶をする「圭」さん。
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「村松絵理」さんをご紹介。

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休憩の後の第2部は、「武満徹」の歌曲を。
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言葉がわかるというのはいいもので、
情感たっぷりの絵理さんの歌はすうっと心に入ってきました。
特に2曲目の「死んだ男の残したものは」は、
「谷川俊太郎」の作詩、「武満徹」の作曲によるもので、
ベトナム戦争のさなかの1965年、
「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために作られたそうです。

歌詞は6番まであり、今日のために「圭」くんが、1番から6番までの、
ピアノ伴奏のアレンジを変えてくれての力作でした。
近頃の少し不安な気分も相まって、胸に迫るものがありました。
「先生にはあってはならないこと」と言われているそうですが、
「絵理」さんも、感極まっていらっしゃっていました。
でもそこに、「絵理」さんのお人柄を見るようで、
こちらも、うるうるしてしまいました。

お客さんで来てくださった長橋さんが、歌詞を書き起こしてきてくださったので、
ここに貼っておきます。

死んだ男の残したものは

死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
ほかには何も残さなかった
墓石一つ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と一人の子供
ほかには何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだこどもの残したものは
ねじれた足と乾いた涙
ほかにはなにも残さなかった
想い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
壊れた銃とゆがんだ地球
ほかには何も残さなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らがのこしたものは
生きてる私と生きてるあなた
ほかには誰ものこっていない
ほかには誰ものこっていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまたくる明日
ほかにはなにも残っていない
ほかにはなにも残っていない

「圭」くんは、第2部で、「シューマン」の
幻想的絵画「ウィーンの謝肉祭の道化」op26より
I.アレグロ
を演奏されましたが、今秋11/21(土)に行われるピアノリサイタルでは、
全5曲演奏されるそうです。
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「小象ババールの物語」の朗読もあるそうです。

とてもステキなコンサートでした。
ありがとうございました。
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