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「焼津おんぱれ2016」 No.7 「歩いて学ぶ 今なら聞ける荒祭り」レポート①【座学編】 [焼津おんぱれ2016]

2016年6/12(日)9:00〜
焼津市焼津2丁目の「焼津神社」で行われるのが、
「焼津おんぱれ2016」 No.7 「歩いて学ぶ 今なら聞ける荒祭り」
というプログラムです。
前回の6/4(土)は別件の用事があり参加できなかったので、
この日、参加させてもらい、記録を書くことになりました。
くわしくは、「焼津神社」のHPをご覧ください。
「焼津神社大祭 荒祭」

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「焼津神社」の本殿です。

*ご注意*
これから書いて行きますが、【荒祭り】について、
まだ充分理解できているわけではないので、
間違ったことや、ニュアンスが違うなと思われる箇所があるかもしれません。
不安なところには、「?」を付けさせていただきますので、
教えていただけると幸いです。
その際は、下のコメント欄か、Facebookをやっている方なら、
メッセージにて、お知らせください。
修正加筆いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。


社務所の横から入っていくと…、
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渡り廊下の先にある「月冰殿(げっぴょうでん)」
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ここにも、しめ縄が掛けられています。
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この日の案内をしてくださる祭典委員の皆さんです。
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さあ、いよいよ始まりますよ〜!
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この日の案内人は、
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菓子職人「リリピット」の「石田喜昭」さん。桜組です。
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祭典委員の「大石弘道」さん。同じく桜組です。

毎年8月12・13日に行われる焼津の「焼津神社大祭・荒祭り」。
会場となるのは、旧焼津地区。
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その中が4つの組に分かれています。
まずは、各組の皆さんのご紹介です。
1区 藤組(鰯ヶ島地区)の皆さんです。
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2区 竹組(城之腰地区)の皆さんです。
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3区 柳組(北浜通り地区)の皆さんです。
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4区 櫻組(元焼津地区)の皆さんです。
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「荒祭り」の衣装は、白装束。
このお祭りは、清めに清めを重ねて行う神事。
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白装束のシャツには、各組の印が入っています。

「焼津神社大祭」を支える団体は、
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・大廻し(おおまわし)保存会
  神輿(みこし)と担ぎ棒(かつぎぼう)を固定する技術の保存会
  ロープで固定するそのしばり方は、漁師の技術が活かされます。
・神宝(しんぽう)保存会
  神輿を含む神宝の修理等の保存会
・獅子木遣り(ししきやり)保存会

皆さんで、「焼津神社大祭・荒祭り」の伝承継承に努めています。

「御旅所(おたびしょ)」とは
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①南御旅所 
〈御祭事(おさいじ)〉・掛魚(かけうお)奉納
           ・乙女の舞
②北御旅所
〈大祭式(たいさいしき)〉
 *御供捧(おんくささげ:供養者)による
特殊神饌(とくしゅしんせん)をお供えする祭事が行われる
           ・掛魚奉納
           ・浦安の舞
③焼津港御旅所    ・掛魚奉納
           ・乙女の舞
④焼津御旅所
その4つの御旅所に御神輿に移られた神様をお連れすることが、
このお祭りの概要のようです。
毎年8/12・13日に行われます。
雨が降っても嵐が来てもやるそうで、
平成21年の地震の時でさえ、やめなかったそう。


第一幕 〜祭り前〜
四つの各組には、青年と中老の組織があり、
大祭時に各組より、青年・中老の委員長、警衛長を選出し
準備にあたります。
祭典全体を統轄するのが、年行司(ねんぎょうじ:当番区)から
選出される祭典総委員長と祭典総警衛長です。
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それぞれの役職の人は、すぐに分かるように腕章を付けます。
年行司は、4区→3区→2区→1区の順に廻っていくので、
4年に1度することになります。
各組の青年と中老のまとめ役の人も腕章を付けます。
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第二幕 
〜御注連縄(おしめ)おろし祭・町幌(ちょうほろ)・御神楽(おかぐら)祭〜

7月に、4町の祭典委員が、新しい注連縄(しめ縄)を作ります。
8月1日に行われる「御注連縄(おしめ)おろし祭」から、
荒祭りは始まります。
「御注連縄おろし祭」は、祭典総委員長、総警衛長、神社総代、
などが出席のもと、神事が行われます。
神社内の注連縄を新しいものに張り替えます。

5:00〜 各組の青年によって、関係各所に「斎竹(さいちく)〉が立てられます。
「斎竹」とは、2本の竹に縄を張り、紙垂(しで)を付けたもの。
神様が歩く地域に悪いものが入らないように結界を作るためのものです。
「紙垂」は、稲妻を意味します。
さらに、櫻組の中老により、神社の鳥居の横に立つ
大幟(おおのぼり)も立てられます。
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8月1日以降には、いろいろな役の練習が始まります。
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8月10日にも、斎竹と大幟が立てられます。
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8月10日の10:00〜は、主要神役の衣装のお祓いと、
各組の子ども神輿のお祓いが神社で行われます。
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8月11日の午前中には、大廻し保存会によって、
神輿と担ぎ棒が固定され、神輿の支度が整います。
夜には、各組で、子ども神輿の渡御が行われます。

8月12日は、6:00〜 年行司の青年と櫻組の青年とで、
元焼津地区の長(4区自治会長)のところに、
大祭が始まることを告げに行きます。
それを「練り込み(ねりこみ)」といいます。
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8:00〜 4町の子どもたちに引かれた「町幌」が
中央通りの入口に勢揃いします。
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この「町幌」の引き回しを「元練り(がんねり)」といいます。
各組の青年がアイディアを絞り、
その時々の人気キャラクターの人形を手づくりして、
台車に乗せ、引き回しをします。
「町幌」は、各町に大祭が始まったことを触れて回る意味合いを持ちます。

11:00〜
普門寺の横にある「御沓脱(おくつぬぎ)」にて、
「御沓脱祭(おくつぬぎさい)」が行われます。
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総委員長、総警衛長、総代など関係各位出席のもと、
神事が行われます。
乙女の舞が奉納されます。
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「御沓脱」とは、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、
この場所で沓を脱ぎ、少し休憩をされた場所とされています。
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8月12日の午前中には、焼津神社の境内では、
「幟担ぎ参り(のぼりかつぎまいり)」や
「神ころがし」の神事が行われています。
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「幟担ぎ」は、子どもが生まれてから3年間、
「奉納 焼津神社」と書かれた幟を持参して神社に参拝するものです。
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「神ころがし」は、国選択無形民俗文化財となっているもので、
初めて参拝した年に、総代により体を神殿に向け、
3回回転させる所作をしてもらいます。
この時に大きな声で泣けば泣くほど、
その子どもは元気に育つと言われています。
これは大神様に対し、子どもが氏子となって最初に行う
挨拶の意味合いを持っています。

解説をする大石さんと、その話題に合わせて写真を紹介する石田さん。
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手にしているのは、「幟担ぎ参り」の幟の写真のようです。

13:00〜「御獅子衣装揃い(おししいしょうそろい)」
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「獅子木遣り(ししきやり)」は、国選定・県指定無形民俗文化財)
御獅子に奉仕する少女たちが大祭当日と同様に
手古舞衣装(てこまいいしょう)を身につけて、
獅子幕(ししまく)を引きながら、焼津市役所前から焼津神社まで
獅子木遣りを歌いながら歩きます。
当日の予行演習であると共に、これも大祭開幕を告げる行事のひとつです。

14:30〜 「浜行き(はまゆき)」
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神職、総代、総委員長、総警衛長、そして神役奉仕者から
唯一「猿田彦(さるたひこ)」役が参加をします。
浜に行く前に「 心餅(みごもち)」なる御供物をいただき、
浜にて海に入り身を清めてきます。
以前は北浜で行っていましたが、
現在では当目の浜にて行われています。
17:00〜「夕祭(ゆうさい)」
「御神楽祭」に先駆け神職のみで行われる神事です。
19:00〜「御神楽祭神役奉仕者参集(おかぐらさいじんやくほうししゃさんしゅう)」
各組会所に集合した神役が、手伝い衆を従えて神社へと集まります。

21:00〜 「御神楽祭(おかぐらさい)」
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「丑の刻祭(うしのこくさい)」とも呼ばれます。
主要神役などが拝殿に昇殿します。
 猿田彦(さるたひこ)、御神子(いちっこ)、御供捧(おんくささげ)、
 流鏑馬(やぶさめ)、二本御幣(にほんおんべい)、御神楽(おかぐら)、
 輿舁(こしかけ)、警固(けいご)、舞姫(まいひめ)など。
続いて「御笛役(おふえやく)」が拝殿よりも一段高い幣殿に昇殿します。
最後に宮司を先頭に神職が昇殿します。

ここで、「特殊神饌(とくしゅしんせん)」の「掛魚」が奉納されます。
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「掛魚」とは、魚を桶に活きたまま入れて、神前に供えるものです。
使用する魚は、出世魚と呼ばれる、タイ、ハマチ、スズキなど。
漁師町・焼津ならではの風習かと。

「御神楽祭」は神迎えの神事と共に、
大祭にご奉仕する神役が最後のお清めを受け、
翌日の大祭に神役として奉仕することを、許しを受ける場でもあります。
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静寂の中、大神様を迎えるために、御笛役が笛を演奏し、
舞姫が「青垣の舞」を奉納し、神迎えの神事が行われます。
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大祭当日が躍動感のある「動」の祭りとするならば、
この「御神楽祭」は、まさに「静」の祭りと呼ばれるのにふさわしいそうです。


第三幕 〜焼津神社大祭〜御獅子・行列・発輿〜南御旅所〜
8月13日
〜8:00 各組の神役が神社に参集。
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手伝いの人数制限がない当日は、各神役に大勢の手伝いが同行。
あっという間に神社の境内は白装束でいっぱいになってしまいます。

社務所内では、「四大神役」の支度が始まります。
 (猿田彦・御神子・御供捧・流鏑馬)
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8:00〜
大祭関係者(神役除く)が拝殿に昇殿して「例祭」が行われます。
舞姫により「浦安の舞」が奉納されます。

社務所前では、「御神祭礼(おんしんさいれい)」奉仕者が、
神社総代より「神宝」の受け渡しが行われます。
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「猿田彦(さるたひこ)」
「猿田彦」は神話の世界で、天上から降臨して神様を地上に案内した
道案内(道開き)の神とされています。
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「猿田彦」奉仕者と同行する「大榊(おおさかき)」の支度も始まります。
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「二本御弊」
「二本御弊」は、二本の御弊を組み合わせた神具を持ち、
御神楽の獅子舞をたたき、獅子の力を大きくする役目を行います。
白丁(はくちょう)に黒烏帽子(くろえぼし)の衣裳を身につけます。
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「御神祭礼(おんしんさいれい)」とは、3mくらいの竹に
神社の神宝を取り付け、「アンエットン」の掛け声と共に
手伝いが5〜6人付き、竹を上下に振り道を清める役です。
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奉仕するのは、小学生くらいの男子です。

8:30ごろ
「御獅子(おしし)」「行列先警固(ぎょうれつさきけいご)」を先頭に
行列が神社を出発します。
南の御旅所までは「猿田彦」も行列と一緒に歩きます。
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「御獅子」とは
獅子頭には手古舞姿の少女たちが、胴となる50mほどの幕を持ち、
木遣りを歌いながら歩きます。
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「行列」とは
子ども神役が焼津神社に伝わる神具や神宝を持ち、
大人が介添えとして付き、行列して歩きます。
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行列.jpg
上のイラストに従って、行列の子ども神役の名前を書いてみます。
1. 太鼓
2. 御獅子(雄)
3. 御獅子(雌)
4. 行列先警固(ぎょうれつさきけいご)
5. 御唐櫃警固(おからびつけいご)
6. 神饌唐櫃(しんせんからびつ)
7. 門鉾(もんほこ)
8. 御弊(おんべい)
9. 金弊(かなおんべい)
10. 御神祭礼(おんしんさいれい)
11. 剣鉾(つるぎほこ)
12. 御鉢割(おはちわり)
13. 御旗(おはた)
14. 御鏡(おかがみ)
15. 大榊(おおさかき)
16. 猿田彦(さるたひこ)
17. 御盾(おたて)
18. 御弓(おゆみ)
19. 御太刀(おたち)
20. 四神(しじん)
21. 御手箱(おてばこ)
22. 柊鉾(ひいらぎほこ)
23. 真榊(まさかき)
24. 一本御弊(いっぽんおんべい)
25. 御神楽(おかぐら)
26. 二本御弊(にほんおんべい)
27. 警固(けいご)
28. 御笛(おふえ)
29. 輿付警固(こしつきけいご)
30. 神輿(みこし)
31. 警固(けいご)
32. 神輿(みこし)
33. 神職(しんしょく)
34. 御神子(いちっこ)
35. 御供捧(おんくささげ)
36. 流鏑馬(やぶさめ)
37. 神社総代(じんじゃそうだい)

神輿の渡御順路はこちら。
御神輿順路mini.jpg
(データは、「焼津神社」のサイトから一部加工して使わせていただいています。)
青い線が往路
赤い線が帰路
緑の線が行列の帰路
赤い丸が、御神楽奉納所

9:00〜
「御遷座祭(ごせんざさい)」
拝殿内で、ご神体を神輿に御移しするものです。
宮司が神殿より2基の神輿にご神体を御遷しします。
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10:00〜「発輿(はつよ)」
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「お祓い」 御白洲
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御白洲に並んだ2基の神輿を前に、宮司が出発の祝詞を読みます。
そして「二本御幣(にほんおんべい)」でお祓いをします。
お祓いをした「二本御弊」を宮司が二本御弊役に手渡すと、
間もなく先輿が白洲を立ちます。

「先輿(金巴)」には、主祭神の「日本武尊(やまとたける のみこと)」が鎮座。
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「後輿(銀巴)」には、相殿神の
「大伴武日連 命(おおとものたけひ むらじの みこと)」
「吉備武彦 命(きびのたけひこ の みこと)」
「七束脛 命(ななつかはぎ の みこと)」
の三柱の神様が鎮座します。
つまり、これらの神様が御神輿に乗られているというわけですね。

拝殿前でしばし煽られた神輿は境内の方に向かい、
何百の若者に担がれて出て行きます。
続いて後輿が白洲を立ちます。
2基の神輿は境内を右へ左へ大暴れしています。
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飛び交う怒号のような「アンエットン アンエットン ・・・」
大祭りの一番の見せ場です。
これが焼津神社大祭の「発輿(はつよ:神様が出発すること)」の瞬間です。
数十分、煽られた神輿は、拝殿横に差し掛かると、いったん降ろされます。
ここで御神楽が奉納されますが、
神輿は神様が御乗りになっているのですから、地面に降ろすわけにはいきません。
白装束が地面に座り、その足の上に重量が300kg以上と言われる神輿を乗せ、
御神楽奉納が終わるまで、そのままの体制でいるそうです。

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「御神楽」は獅子頭を煽りながら、3回神輿に向かって噛み付く所作を繰り返します。
「二本御弊」がその獅子の頭を御弊でたたく所作をしながら、ついていきます。
「二本御弊」が獅子の頭をたたくことにより、御神楽と称される
 獅子の力が大きくなると言われています。
<所作>
①神輿の屋根の角を噛む
②屋根の巴紋を噛む
③屋根頭頂にある鳳凰を噛む

この御神楽奉納は拝殿前の後、道中9ヶ所で行われます。
本神楽は全ての場所で、相方は、後見、見習いが順番に努めていきます。
①北鳥居前
②櫻組会所前
③普門寺前
④中央通り(江戸時代の北御旅所の跡、エンカ屋敷前)
⑤田子の橋
⑥ガラキ(服部家)前(昭和初期まで南御旅所のあった所)
⑦辻の札(江戸時代から昭和初期まで町の中心であった)
⑧入田屋角
⑨北御旅所前(大祭式にて御旅所祭が行われ、御供捧が祭事に奉仕する)

神輿が神社を後にすると、その後ろに、
宮司、馬三役(御神子、御供捧、流鏑馬)が続いて、
行列が進んで行きます。

11:00ころ、獅子木遣り、子ども行列は、南御旅所に到着します。

12:30ころ、南御旅所を出発し、北御旅所を経由して、
16:40ころには、焼津神社に到着します。

猿田彦奉仕者は南御旅所から、行列より離れて、
単独で順路を歩くようになります。

13:30ころ、南御旅所に、御神祭礼、二本御弊、御神楽が到着します。
そして2基の神輿が相次いで南御旅所に入ってきます。
神輿到着後、掛魚(かけうお)の奉納から始まり、
南御旅所御祭事(みなみおたびしょごさいじ)が行われます。
ここでは、「乙女の舞」が奉納されます。


第四幕 〜北御旅所〜焼津港御旅所〜焼津御旅所〜還御〜
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14:30ころ、南御旅所を後にします。
そして、一気に浜通りを北御旅所に向かって進んで行きます。
御神楽はその間に3回(辻の札、入田屋角、北御旅所前)奉納を行います。

そして、一足先に出発して単独行動となった猿田彦は、
14:00ころ、北御旅所にいったん、「大榊」を治めます。
そして、猿田彦はここからは帰路になります。
北御旅所から降りた大榊は、再び浜通りに出たところで
「大榊の奪い合い」を行います。
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巨大な大榊の枝を手にすると縁起がいいとされており、
皆で(一般見学者も含む)その枝を奪い合います。
立派な大榊もここで丸坊主になってしまうそうです。

15:40ころ、神輿は北御旅所に到着します。
ここでは、「大祭式」という御祭事を行います。
ここは、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、焼津に上陸した場所とされています。
ここでは、「特殊神饌(とくしゅしんせん)」を供えて、祭事を行います。
その神饌を捧げるのが、四大神役のひとつ「御供捧(おんくささげ)」の奉仕者です。
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代表的な「特殊神饌」は、
「小麦飯(こむぎのいい)」
「牛舌餅(うしのしたもち)」
「櫛形餅(くしがたもち)」などです。
ここでは、浦安の舞が奉納されます。

18:00ころ、北御旅所をあとにして、焼津港御旅所に向かいます。
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焼津港御旅所では御祭事を行います。
ここでは、「乙女の舞」が奉納されます。
焼津港御旅所を後にして、焼津御旅所に向かう途中に、
神輿は「下村家」に立ち寄ります。
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「下村家」の現当主が神輿を参拝します。
「下村家」の他に焼津神社大祭に関連する宮座的な家系に、
「村松家(猿田彦)」「村岡家(流鏑馬)」などがあります。
(宮座:みやざ 
   地域の鎮守もしくは氏神である神社の祭祀に携わる
    村落内の特権的な組織及びそれを構成する資格者の集団。
    専任の神職を持たず、宮座の構成員が
    年番で神主役を務める当家(とうや)制を取る。)

19:30ころ、神輿の前を歩く「御笛役」は、
昭和通りを抜けてゴールデン街(アトレの付近)に差し掛かります。
ここで1回だけ特殊な「譜」の笛を奉奏します。
これを「お帰りの笛」と言います。
「大神様」に帰り道であること、
まもなく元焼津に着くことなどを伝える笛とされています。
この後、元焼津の交差点まで一切笛を吹くことがありません。
そしてその道のりを「泣かずの森」と呼んでいます。

20:00ころ、2基の神輿は焼津御旅所に到着します。
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焼津御旅所御祭事の後、「御神子神事(いちっこしんじ)」
「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」が行われます。

「御神子(いちっこ)」が焼津御旅所の前を2回半、乗馬にて疾走します。
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「御神子」は、疾走することにより、氏子と神様の心を繋ぐと言われています。
氏子と神様の橋渡し役ということです。
「御神子」は、赤い冠の中に、和紙で作った輪の形のお守りを入れています。
「御供捧」も同じものを腕のはめています。
いずれも神様に仕えるために、身を清める意味合いを持っています。

「先触れ太鼓」
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「御神子神事」「流鏑馬神事」の前を「先触れ太鼓」が走ります。
この太鼓は櫻組の青年中老のみが奉仕することを許されています。

「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」
「流鏑馬」は、御神矢を両手で天高く掲げて、「焼津御旅所」前を疾走します。
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氏子の厄払い的な意味合いを持っています。

「焼津御旅所」前で、両祭事が終了すると、神輿の出発前に
御旅所内で御神祭礼役が神職よりお祓いを受けて、神社へと向かいます。
(お祓いを受けるのは「御神祭礼」のみ)
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続いて、「猿田彦」「御神子」「流鏑馬」「御神楽」「二本御弊」の順に
神社へ向かいます。
このとき「御笛役」は櫻組会所前交差点で
各神役を御笛の間を通し、神社へと送ります。
このとき以外は、いかなる人々も
御笛の間を歩くことは許されません。

「還御(かんぎょ)」
各神役、2基の神輿が神社に帰ってくることを、還御(かんぎょ)といいます。
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「御神祭礼」「御神楽」「二本御弊」は、それぞれ拝殿前で
神宝を神職に返還します。
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境内に戻って来た2基の神輿は、ここから数時間、
白装束の若者らによって、煽られ続けられます。
「御笛役」は、拝殿の欄干で神輿が納まるまで、
笛を奉奏し続けます。
祭りが終わるのを惜しむように、まだまだ熱い焼津の祭りは続きます。

同じころ、社務所内では、
「年行司」の祭典委員と翌年「年行司」の祭典委員が集まってきます。
ここで、翌年への「年行司」の引き継ぎが行われます。
今年の祭りがまだまだ続く中、祭典委員の目線は
すでに翌年と向けられているのです。

そして、神輿を納める時がやって来ます。
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境内で、神輿の様子を見守っていた「年行司」の警衛長が口を開きます。
各町の祭典委員に「お願いします」と一言…。

それを合図に、各組の祭典委員が白装束の若者たちから
神輿を受け取りに行きます。
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終わりたくない連中は、なかなか神輿を渡してくれません。
飛び交う怒号、怒号、「アンエットン」が境内に響き渡ります。
やっと受け渡された神輿はいったん、お白洲に降ろされます。

担当の青年委員長の手で、鳳凰が外されます。
どこからともなく大きな拍手、そして「アンエットン」の声…。
神輿は静かに拝殿へと運ばれ、宮司によりご神体が神殿に移されます。

1基残っている後輿は、祭典委員から逃げるように右へ左へ…。
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しかし、後輿も祭典委員に渡され、お白洲へと。
先輿同様に静かに拝殿へ。
そしてご神体は神殿に移されます。

最後に「年行司」の総委員長・総警衛長の挨拶。
全員での「アンエットン」の三唱。
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そして、翌年の「年行司」が先頭になって帰路に着く。
すなわち、その年の祭りが終了したと同時に、
翌年の祭りがすでに始まっているということです。

焼津が一番熱くなる夏も、この日を境に少しずつ秋を感じるようになります。

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解説いただいた「大石さん」、案内人の「石田さん」
ありがとうございました。

記事内容については、いただいた資料と、当日のメモ書きを参考にしましたが、
事実と違う箇所があるかもしれません。
教えていただければ、終始加筆いたしますので、
よろしくお願いいたします。

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今年の「焼津神社大祭」の準備も進んでいるようです。
大石さんのFacebookの文章の一部を貼らせていただきます。

焼津神社大祭も後、1ヶ月に迫って来ました。
四町(藤組、竹組、柳組、櫻組)の祭典委員も毎日、
各公会堂に集まり準備を進めています。
焼津市の子どもさん達に「神役」として、焼津神社大祭に参加していただきたくて
6月から焼津市の全公民館に「御獅子」と子ども「神役」の募集ポスターと
チラシを設置させていただいています。
奉仕者募集.jpg
今年もまだまだ間に合いますので、小学生のいるお父さん、お母さんは
今一度ご検討ください。
よろしくお願いいたします。

一生に何度とできることではないでしょう。
「焼津神社大祭 荒祭」の意味を充分に理解した上で、
参加されたら…、ご家族皆さんの心に残る思い出になりそうです。
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