「エンディングノート」&舞台挨拶を観てきました。 [映画館へ行こう!]
2012年1/7(土)12:45~「静岡シネ・ギャラリー」で、
今日から上映が始まった映画は、「エンディングノート」。
「誰も知らない」「奇跡」などの是枝裕和監督の
映画助手をしている砂田麻美さんの第1回監督作品です。
上映後、舞台挨拶があり、さらにその後、監督によるサイン会がありました。
映画の内容等については、オフィシャルサイトを見ていただくとして、
監督の舞台挨拶がとても楽しみでした。
サイン会の時に、ブログに書くことの許可もいただいたので、
舞台挨拶の内容を、かいつまんで書かせていただきます。
(書きなぐったメモを参考に書かせていただきますので、
不十分なところやニュアンスの違いなどもあるかもしれません。)
もともと、節目節目には、父親の映像を記録してきた次女、砂田麻美監督が、
父親のガンが分かってから、亡くなるまでの半年あまり。
抗ガン剤投与の治療が落ち着いてきてからではあるが、
父の最後の日までを、今まで通りカメラで追うべきかどうか…?
それが娘として、許されることかどうか…?
それは、できないことだと思っていた。
是枝監督に「後悔しないの?」と言われ、
自分の中でルールを決めて、撮影することに。
ディレクターとして撮影するのは辛い。
家族の記録としてカメラを回せたら…、それで充分。
前半は記録が少ないため、完成した映画ではナレーションで繋いでいる。
途中から覚悟ができて、回しやすくなった。
父親が亡くなってから、3ヶ月。
撮り貯めていたものを、i-macで編集。
是枝監督には、「納得するまでやったら?」と言われていた。
誰に観せるとか考えずに編集したものを、是枝監督に観せた。
「沈黙が耐えられる男」の沈黙に耐えきれず、麻美さんは牛乳を買いに行った。
戻ってきた時に、是枝監督が、
「おもしろかった。これは映画になるんじゃないの?」
ナレーションは麻美さん本人が、父親のセリフのように1人称として入れた。
それがユーモア感を呼んでいるのでは…?
麻美さんは、この映画を観て、泣く人がいるとは思っていなかった。
1人の人間が、この世を去っていくこと、
道ですれ違うようなこの人も、この人も、いつか死んでしまうのか?
どうしてこの世を去らなくてはいけないのか?
1人称にすることにより、自分の目で見た体験とし、
プライベートな一家族の物語、普遍的なファンタジーの主人公として
語らせたい、と思った。
数々の映画祭にも出品したので、
日本中の人だけでなく、海外の人々にも観てもらうこともあった。
ドバイで観てもらった時、観客が笑う瞬間は、日本人のそれと同じだった。
ただ、ドバイの人の鼻をかむ音はかなり大きかった。
イラクでは、父親を亡くしたという兵士に「よかった」と言われた。
まさか、世界の人々にそのように反応されることを、そこまで想像できなかった。
伝えたいことがある時は、先を考えずにやるべき。
不思議なことに、誰も待っていなかっただろうけれど、
「作ってよかった」と今は思う。
父親が、ここは撮影をやめて欲しいと言ったところでも、
実際は嫌がってないのでは…、と思われるところは撮影した。
母親との会話のシーンも2人にしてくれと言われ、
部屋を出て行ったが、RECボタンは押したままにした。
その時は、娘のというより、ディレクターとしての判断だったかもしれない。
編集時に初めて、何が話されていたのか知った。
最後の5日間は、無意識に、部屋の電気をON/OFFしているかのように、
撮影していた。
今後は、フィクションを撮ってみたい。
映画の中に「to do LIST」が11個出てくるが、
あれは、麻美さん自身が書いたもの。
父親がリストしたわけではない。ここが一番誤解されやすい。
父親が書いた「エンディングノート」は、エンディングの時に
朗読したものなどで、いろいろな手続きに関するものなど、
家族に伝えたい情報などだった。
「エンディングノート」を望まれる方は作成されたらいいけれど、
「砂田さんのお父さんは作っていたから、お父さんもがんばって…」
などとは言って欲しくない。
父親は、サラリーマン時代と同様に段取っていたが、
それは、変わることが怖かったり、
負けず嫌いで保っていたにすぎないかもしれない。
もっとジタバタしたり、わがままに過ごすのだって「アリ」だと思う。
撮影は威圧感を与えたくなかったので、
家庭用のカメラで、マイクも外付けせずに撮っていた。
風景などは、後で撮ったものもある。
映画は完成した後、独り立ちしてしまうので、
作った人間としては、観てもらう人々に直接会って説明するのは難しい。
だから、こういう舞台挨拶できるのはありがたい。
父親が亡くなって、2年経つけれども、今もって、
どこに行っちゃったんだろう?と思ったり、
何かちょっと物足りない、と感じたりする。
何年経っても、なんで亡くなっちゃったんだろうと思うのだろう。
これからも、がんばって映画を創ります。
以上が、砂田麻美監督の舞台挨拶のダイジェストです。
もしも、監督ご本人、ご覧になられた方が、
そうじゃないよ、こうだよ、とご指摘してくださるなら、
修正加筆いたしますので、お知らせください。
ぱらぽんの感想は、こちらで。
今日から上映が始まった映画は、「エンディングノート」。
「誰も知らない」「奇跡」などの是枝裕和監督の
映画助手をしている砂田麻美さんの第1回監督作品です。
上映後、舞台挨拶があり、さらにその後、監督によるサイン会がありました。
映画の内容等については、オフィシャルサイトを見ていただくとして、
監督の舞台挨拶がとても楽しみでした。
サイン会の時に、ブログに書くことの許可もいただいたので、
舞台挨拶の内容を、かいつまんで書かせていただきます。
(書きなぐったメモを参考に書かせていただきますので、
不十分なところやニュアンスの違いなどもあるかもしれません。)
もともと、節目節目には、父親の映像を記録してきた次女、砂田麻美監督が、
父親のガンが分かってから、亡くなるまでの半年あまり。
抗ガン剤投与の治療が落ち着いてきてからではあるが、
父の最後の日までを、今まで通りカメラで追うべきかどうか…?
それが娘として、許されることかどうか…?
それは、できないことだと思っていた。
是枝監督に「後悔しないの?」と言われ、
自分の中でルールを決めて、撮影することに。
ディレクターとして撮影するのは辛い。
家族の記録としてカメラを回せたら…、それで充分。
前半は記録が少ないため、完成した映画ではナレーションで繋いでいる。
途中から覚悟ができて、回しやすくなった。
父親が亡くなってから、3ヶ月。
撮り貯めていたものを、i-macで編集。
是枝監督には、「納得するまでやったら?」と言われていた。
誰に観せるとか考えずに編集したものを、是枝監督に観せた。
「沈黙が耐えられる男」の沈黙に耐えきれず、麻美さんは牛乳を買いに行った。
戻ってきた時に、是枝監督が、
「おもしろかった。これは映画になるんじゃないの?」
ナレーションは麻美さん本人が、父親のセリフのように1人称として入れた。
それがユーモア感を呼んでいるのでは…?
麻美さんは、この映画を観て、泣く人がいるとは思っていなかった。
1人の人間が、この世を去っていくこと、
道ですれ違うようなこの人も、この人も、いつか死んでしまうのか?
どうしてこの世を去らなくてはいけないのか?
1人称にすることにより、自分の目で見た体験とし、
プライベートな一家族の物語、普遍的なファンタジーの主人公として
語らせたい、と思った。
数々の映画祭にも出品したので、
日本中の人だけでなく、海外の人々にも観てもらうこともあった。
ドバイで観てもらった時、観客が笑う瞬間は、日本人のそれと同じだった。
ただ、ドバイの人の鼻をかむ音はかなり大きかった。
イラクでは、父親を亡くしたという兵士に「よかった」と言われた。
まさか、世界の人々にそのように反応されることを、そこまで想像できなかった。
伝えたいことがある時は、先を考えずにやるべき。
不思議なことに、誰も待っていなかっただろうけれど、
「作ってよかった」と今は思う。
父親が、ここは撮影をやめて欲しいと言ったところでも、
実際は嫌がってないのでは…、と思われるところは撮影した。
母親との会話のシーンも2人にしてくれと言われ、
部屋を出て行ったが、RECボタンは押したままにした。
その時は、娘のというより、ディレクターとしての判断だったかもしれない。
編集時に初めて、何が話されていたのか知った。
最後の5日間は、無意識に、部屋の電気をON/OFFしているかのように、
撮影していた。
今後は、フィクションを撮ってみたい。
映画の中に「to do LIST」が11個出てくるが、
あれは、麻美さん自身が書いたもの。
父親がリストしたわけではない。ここが一番誤解されやすい。
父親が書いた「エンディングノート」は、エンディングの時に
朗読したものなどで、いろいろな手続きに関するものなど、
家族に伝えたい情報などだった。
「エンディングノート」を望まれる方は作成されたらいいけれど、
「砂田さんのお父さんは作っていたから、お父さんもがんばって…」
などとは言って欲しくない。
父親は、サラリーマン時代と同様に段取っていたが、
それは、変わることが怖かったり、
負けず嫌いで保っていたにすぎないかもしれない。
もっとジタバタしたり、わがままに過ごすのだって「アリ」だと思う。
撮影は威圧感を与えたくなかったので、
家庭用のカメラで、マイクも外付けせずに撮っていた。
風景などは、後で撮ったものもある。
映画は完成した後、独り立ちしてしまうので、
作った人間としては、観てもらう人々に直接会って説明するのは難しい。
だから、こういう舞台挨拶できるのはありがたい。
父親が亡くなって、2年経つけれども、今もって、
どこに行っちゃったんだろう?と思ったり、
何かちょっと物足りない、と感じたりする。
何年経っても、なんで亡くなっちゃったんだろうと思うのだろう。
これからも、がんばって映画を創ります。
以上が、砂田麻美監督の舞台挨拶のダイジェストです。
もしも、監督ご本人、ご覧になられた方が、
そうじゃないよ、こうだよ、とご指摘してくださるなら、
修正加筆いたしますので、お知らせください。
ぱらぽんの感想は、こちらで。
2012-01-08 00:47
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0