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映画「NORIN TEN 稲塚権次郎物語 世界を飢えから救った日本人」舞台挨拶に行きました。 [映画館へ行こう!]

2016年4/9(土)朝、起き抜けに
今週の「藤枝シネ・プレーゴ」の予定を確認したところ、
10:30〜の作品上映後に舞台挨拶があるという???
作品は…!?

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仲代達矢さん主演!
映画「NORIN TEN 稲塚権次郎物語 世界を飢えから救った日本人 」
「稲塚権次郎」? 皆さまご存知ですか?
恥ずかしながら、ぱらぽんは知りませんでした。

今から80年前、岩手県立農事試験場で生まれた「一粒の種」。
後に世界の食糧危機を救う基となった
「小麦農林10号=NORIN TEN」。
それを作り出したのが、育種家「稲塚権次郎」さん。
「小麦農林10号=NORIN TEN」は、
世界のおよそ90%の小麦の先祖としても知られているのだそう。

この作品の監督・脚本を担当された「稲塚秀孝」さんは、
この「稲塚権次郎」さんのご親戚にあたるのだそう。
作品上映後に稲塚監督の舞台挨拶があるという。

ちょうど間に合いそうだったので、「藤枝シネ・プレーゴ」に向かい、
水元支配人にお願いして、舞台挨拶の撮影を許可していただきました。
そして、まずは作品を鑑賞しました。

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「NORIN TEN 稲塚権次郎物語 世界を飢えから救った日本人」
の公式サイトは、こちら

そもそも、この舞台挨拶が決定したのも、最近のことだったようです。
4/3(日)に行われた藤枝市民劇場の舞台で、
仲代達矢さん率いる「無名塾」の「おれたちは天使じゃない」が公演され、
その時にこの映画のチラシも配布されたそう。
充分に広報する間もなかったようで、
残念ながらお客さんは多くなかったのですが、
そういう時こそ記録しておきたいと思うので、
お邪魔してよかったなあと思いました。

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脚本も書かれた「稲塚秀孝」監督です。

映画の中で、進学したい「権次郎」さんの希望を知り、
両親を説得する本家の当主「稲塚彌市」さんが出てきますが、
監督は、その彌市さんの次男さんの息子さん、つまりお孫さんなのだそうです。

「稲塚権次郎」さんのご出身は富山県東砺波郡城端町(現、南砺市)西明。
その後、東京、秋田、岩手、中国などいろいろなところに行かれますが、
戦後は故郷に戻られ、圃場の整備や農業構造改善事業などをされたようです。
育種の事業はもうされなかったとか。

作品の中で、監督が描きたかったものが二つ。
祝言と野焼きの場面。
祝言は、叔父・位(ただし)さんと叔母・幸子さんの祝言を
覚えているそうです。
野焼きは、祖父の時の記憶から…。
その祝言、野焼きの場面はもちろん、
富山の四季や、暮らす人々の生活、大正・昭和の生活用具など、
地元富山の方々の協力があったからこそ、撮影できたそうです。

監督が舞台挨拶をして、お客さんによく聞かれる質問のひとつが、
野焼きの場面で、留袖を来ているご夫人が出てきます。
葬儀なのに、なぜですか?と。
民俗学的に「晴れ(ハレ)」と「褻(ケ)」という概念がありますが、
「晴れ」は、生涯に一度ほどの大事な場面と捉えると、
葬儀も「晴れ」にあたるとも考えられるそうです。
民俗学者の意見では、
葬式に赤飯を炊いていたと思われる民俗事例や
晴れ着を着て喪に服した民俗事例などを念頭に、
「非日常」という点で葬式もハレだとしている。
ということです。
事実、富山のこの地域でもそういう事例があったようで、
このロケでもそれが表現されたのだそうです。

もうひとつは、権次郎さんが最後に仏壇に向かって、
親不孝を悔いるところ。
世界の人々を飢餓から救い、晩年にはその功績で表彰されたりもしている、
偉人というべき権次郎さんが、なぜ?
貧農家に生まれ、本来なら農家の長男として、
自分の家の田畑を守らなくてはいけなかった自分が、
その本来の務めを果たせなかったという思いがあったろうと…。
世の中に評価されても、親の期待には添えなかったという
申し訳ないと思う気持ちがあったろうと…。

舞台挨拶の後半では、観客の方からの質問タイムに、
特に質問なさる方がいらっしゃらなかったので、監督は、
「先ほど、写真を撮ってくださっていたライターのぱらぽんさん!
降りて来て少しお話をしましょう」と。
えっ!私が!?と思いましたが、乞われればそれなりに。
「ご意見やご質問があれば…」
とのことでしたので、いくつか質問をしました。
が、あまりネタばれするのもなんなんで、
ひとつだけご紹介しますね。

ぱらぽん
「映画の中に、権次郎さんの日記のようなものが出てきますが、
あれは、本物というか、本当に権次郎さんが書いていたものですか?」
稲塚監督
「そうです。権次郎さんの妹さんが嫁いだお宅に、
権次郎さんの日記が50年分あったんですよ」
それは、本棚でいうと3段分あったのですって。
学生時代には、英語の勉強を兼ねていたのか
英語で書かれていたそうです。
その日記も参考にしながら、監督は脚本も書かれたそうです。

ぱらぽんは、「稲塚権次郎」さんのことを知らなかったので、
この作品に出会えて、本当によかったなと思いました。

藤枝シネ・プレーゴ」での上映は1週間のみ。
4/11(月)〜15(金)は、朝の10:00〜の回のみです。
もしもご都合がつく方は、ぜひとも見に行ってください。

その後は、静岡市の「シネ・ギャラリー」にて
4/23(土)〜29(金)まで。
こちらは、9:55〜11:50
23日初日は、上映後に稲塚監督の舞台挨拶があるそうです!

そして浜松市の「シネマe〜ra」では、
5/7(土)〜13(金)まで。
上映予定だそうです。

作品、そして「稲塚権次郎」さんについて、
もっと詳しくお知りになりたい方は、
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公式ガイドブックがあります。
今週「藤枝シネ・プレーゴ」の売店で販売中(900円税込)です。

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さっそくぱらぽんは、買わせてもらい、
監督のサインもいただきました。

こんな日本人がいたこと、知りませんでした。
それを映像で遺すことにより、本当に分かりやすく伝えられます。
昔ながらの祝言や、野焼きについても、
言葉で聞くのと、映像で見せられるのでは、違います。
派手な作品ではないですが、稲塚監督がじっくりと取り組み、
仕上げられたこの作品を、ひとりでも多くの方に観てもらえたらいいなと思います。

私見ですが、このところ「在来作物」を研究している方から、
お話を聞くことがあるのですが、
「在来作物」とこの育種家の研究による「品種改良」されたものは、
表裏一体であるのでは、と思いました。
権次郎さんたちが行った品種改良は、どちらかと言うと、
国家レベルの育種の専門家が行なったもので、
在来作物は、農家さんが自家交配をして、
その家に代々伝わって遺された作物。
その中には、品種改良では選ばれなかった品種のものもあり、
ほかの農家では作らなくなってしまっても、
何かの理由で作り続けていたもの。
どちらがどうとは言えないですが、
農業の奥深さを感じずにいられません。

種や、苗を育てるということへのたゆまない努力と、愛情と、
それを続けていく根気と探究心と…。
それは、映画を作る作業も同じくで、
お身内であればこそ得られた資料はあるものの、
それらをどのようにして、どのような作品にするのか?
壮大な作業を経て、この作品が作られたこと、
稲塚監督の思いにまでつながりました。
全ての、ものづくりびとに敬意を表します。

時間に限りはありますが、よろしければ、
皆さま、どうぞご覧になってください。
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