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母の夕焼け [おくすりばこ]

岡山に日帰りしたのは、夫、三線おやじのお母さんに会うため。
本当なら「義母」と書くべきですが、
「岳父・実母・実父」を既に亡くしているぱらぽんにとっては、
唯一この世に存在する母なので、「お母さん・母」と書きます。


6月下旬から、気胸で入院していましたが、肺炎や、心臓の弱まりもあって、
先週の土曜日から、ちょっと油断がならない状態になりました。

このところ、予定が目白押しで、
これからもがんばらなくてはいけないことが多い中、
いつ行こうか?迷いました。
最悪の事態も予想すると、行ったきりしばらく滞在ということも考えられます。
思い切って、土日は、なるべく予定どおりやることをこなして、
もしもの際に備えて、今やっていることの申し送りができるように手配して、
月曜日に行くことにしました。

母に会うため、それだけが目的の旅。
なるべく早く向かいたい。
新幹線は、乗り換えのない「ひかり」を選びました。

姉と弟が駅まで迎えに来てくれて、病院へ。
病室の母に声を掛け、
札幌の息子に電話をして、母に孫の声を聞かせて、
手を握り、足をさする。
付き添っている姉から、いろいろな様子を聞き、
弟、義弟と話をする。

気胸、肺炎、心臓・肺の弱まり、ぱらぽんは医療に関しては素人ながらも、
母の症状が、原因は別として、夫の症状と同じ状況を辿るところは、
切ないほどに親子を感じて、現実の厳しさを感じるばかりです。

昼過ぎには実家に帰り、裏山の夫が眠るお墓にお参り。
暑い最中ではあったが、姉と弟と3人でお墓の草取り。
花をささげ、線香を手向けて、お参りする。

母の息子である夫は、よく似た症状を経験しているから、
人として、痛みや苦しみに、どこまで耐えうるか、
母のがんばりがどこまできるものか、分かるだろう。
そして、これ以上は無理と判断できるときには、
最愛の母を迎えにくるに違いないと考える。
それは、私の妄想でしかないが、
それまでは、母ががんばれる間は、
姉・妹家族・弟、そして私に、お母さんを残しておいて欲しい。
この世に、同じ時間に、生きている、存在しているということは、
本当にありがたいことだと、切に思う。

母の手を握り、声を掛けると、たまに、少し目を開けて、こちらを見た。
人工呼吸器のマスクを付けているから、言葉を交わすことは難しい。
私が来たことが分かったかどうか?本当は分からない。
でも、視線があったときの、黒い瞳の輝きは、
私を認識してくれたと思いたい。
息子(孫)の声が、母に届いたと思いたい。
夫(息子)に似て、低い声の息子(孫)の声は、
母の力になると思いたい。

長く居ることが必要ではないので、
予定よりも早い時間の新幹線で帰りました。

今日からは、自分ができることをきちんとやる。
次に呼ばれたときに、すぐに駆け付けられるように、
日々、すべきことをなるべく前倒ししてやっておくこと。
それは、当たり前のことだけれど、
ものごとはそうした方がいいよと、母が教えてくれているのかもしれない。

かつて、夫が、辛い治療をした後、1年半後まで、
会社を退職したこと、命がけの治療をしたこと、を母に言えないでいた。
私は、夫と母の間に隠し事があるのが耐えられなかった。
少しましな状態になったとき、久しぶりの帰郷を果たし、
初めてそれらのことを告白したとき、
その時の母の言葉を忘れない。(方言は再現できてないな。)

事実を聞かされた母は、一瞬凍り付いたような表情だったが、
長い沈黙の後、切り出した言葉は…、
「大変な思いをしたことだろうと思うが、
自分1人だけが辛かったと思ってはいけん。
自分が本当にがんばったからだと思うけれども、
周りの皆さんのお陰で、命を助けてもらったことを忘れてはいけん。
皆さんのお陰で、せっかく助けてもらった命なのだから、
これからは、周りの皆さんを楽しませるようなことをせんといかん」
いろいろな苦労に耐えて、過ごしてきた母の言葉。
みんなで泣きました。
すごい人なんだな~と改めて思いました。
すごく心配しましたが、本当のことを話してよかったと思いました。

母はよく、
「はた(まわり)を楽にするから、『はたらく(働く)』なんじゃ」
とも、言っていました。

母の言葉を胸に、これからもがんばらないと…。

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帰路の夕陽。
美しかった。
人生の晩年、美しく輝けるかどうか?
母の夕焼けが、少しでも長く、美しくあるように…、
願って止まない。

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