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稲穂の頭が垂れる頃に…。 [おくすりばこ]

「ジャパンオンパク初級者研修会」が、コンパクトに一日開催となったため、
12日の日曜日がぽっかりと空いた。
といっても、町内の運動会がある日ではあったが…。
別に、どうしてもやらざるを得ない事項も勃発したため、
この休日は、片付け?と思っていたら、舞い込んだ情報。

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父の末弟である叔父が亡くなったと…。
その叔父は、我々に一番年齢が近かったので、「まことに〜に」と呼んでいました。
父の実家は建築塗装業を営んでいました。つまりは「ペンキ屋さん」。
子供の頃は、ペンキの汚れがいっぱい付いた作業服の父の姿は、
子供心に格好よくないと思え、まれに小学校に塗装の仕事に来ている時に、
声を掛けられたりするのが恥ずかしいと思ってしまいました。
それでも、職人気質は理解して育ったので、
長じた今も、職人さんや作家さん、技術屋さんには、常に敬意を持っています。

さて、「まことに〜に」ですが、この叔父は画才があったので、
ペンキ屋の仕事はしないで、「看板屋さん」をしていました。
お店の看板はもちろん、電柱に巻かれている店名の看板など、
さささと描いていたのを見たことがあります。
一番印象深かったのは、宝くじの抽選番号を書いていたこと。
どういう経緯でそれを見に行ったのかわからないのですが、
市民会館のようなところに、宝くじの抽選会を父と見に行ったようです。
抽選で当選番号が決まると、それを高く掲げた掲示板に書いて行くのですが、
電光掲示板などはない時代、脚立に登った人がひとつずつ数字を書き上げていました。
その人を父が指差して「あれが、まことだよ!」と。
「まことに〜に、かっこいい!」と誇らしく思えた記憶があります。
そのときの宝くじは、どうだったのか?
それに関する記憶が全くないので、たぶん、ダメだったんでしょうね。
そういうことを「スカ」と言いますが、語源はなんだろう???

冒頭の「折り鶴」は、会場の計らいで、棺に入れるためのもの。
久しぶりに会った叔母や従姉妹たちと、おしゃべりしながらたくさん折りました。
もう少しで金婚式だったそうで、叔母が残念がっていたそうな。
私も真珠婚式に後半年というところだったので、お気持ちよ〜くわかります。
こればかりは一人ではがんばれませんから、ね。

これからの叔母と従姉弟のことが気になりますが、
仲良く、叔父の分まで楽しく生きて欲しいと切に願います。

「まことに〜に」みんなのことを見守ってください。
昇ちゃ、大ちゃ〜、若ちゃ、巡ちゃにも、よろしく言ってくださいね。
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