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映画「向日葵の丘 1983年・夏」最終日。6週間、ありがとうございました。 [映画館へ行こう!]

2015年11/13(金)12:45〜
2度の延長で、3週間もロングランを続けた
映画「向日葵の丘 1983年・夏」が、最終日でした。

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ホントはやること山積みなんですが、
やはりもう1回観ておかないとと思って、行きました。
CDも買っておかないと…。

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2番スクリーンでした。
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20人くらいからスタートして、
途中からもお客さんが入ってきてました。
30人くらいにはなっていたかも…。
平日のお昼でこれはすごいのでは…!?
やはり、皆さん最終日。
観ておかないと…、という方々かしら…。
映画に関係した人もいれば、地元だから、
懐かしい風景が一杯映っているから、
ストーリーが感動的だから…、
観にくる理由はさまざまでしょうが、
何故か惹き付けるものがあるのだと、思われます。

この作品は、1983年頃の片田舎の町が舞台で、
高校生たちが8ミリの映画を撮ろうとする。
時代背景に沿うような、大道具小道具もさることながら、
親子関係のあり方とか、閉塞感や限界を感じるところの身近さの
その距離感とか…。
あの頃は、このくらいのことで、◯◯だったよね〜、
みたいなことが、一定以上の年齢の方には、
哀愁というか郷愁というか、じわじわ来ます。
さらに、30年後の現代でのドラマが重なり、
入れ籠の様なことになっているのですが、
私は、さらにもう一つか二つ、さらなるドラマが流れている様な気がします。
その一つは、映画にはでてきてはいない事柄でも、
この時代の映像を見ることにより引き出されてくる
「昭和」という時代の空気感の様なもの。
作品のストーリーとは別に、「昭和」の時代のドラマが流れている。

それから、もう一つは、自分自身のドラマ。
これは、とても個人的なものなので、スルーしてくださって構わないですが、
ぱらぽん自身にとって、1983年という年代が、
とても大きな変化があった年なので、その時代のことを
クリアに思い出すことができるから。

作品では、1983年がCDがない時代と描かれていますが、
実は、CDはありました。
1982年10/1、記念すべきCDソフトの生産第1号は
ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」でした。
1981年に結婚して、夫が黒いレコードを作っている会社で、
全く新しいコンパクトディスク(CD)を作るチームに入れられ、
当時はやっていた「リゲイン」のCMのごとく、
「24時間戦えますか?」的な生活をしながら、
生まれたのがCDでしたから。
1983年頃は、まさにそのころ。
そこから、映画館の支配人が危惧するように?
日本は高度成長期を迎え、技術も文化も華開きました。
それ以前は、多香子の父親のような人は父親の典型のようでした。
当時、女などは◯◯しなくていい…、的なことは多く言われました。
激動の時代を過ごしてきて、今があるけれど、
本当に大事なことはなんであるか?

作品の中でも多くの人が鬼籍に入ります。
それは現実でも同じこと。
実際にそうでしたから。
そのひとつひとつの命と、向き合ってきたから、
それを受け入れざるを得ないことは、仕方がないことは分かっている。
おそらく自分の命でさえも…。

大事なことは…、その思い。
人の数だけ思いがあり、それはいつでも
うまく相容れられるとは限らない。
すれ違ったり、いがみ合ったり、ささくれ立ったりすることもある。
ただし、どんなに争っても、仲良くしても、
この世にいられる時間には限りがある。
その長さには、個人差があるけれど。

だからなのか分からないけれど、
作品中で、人と人の気持ちがぎくしゃくしてうまくいかない時、
その人が自分ではどうすることもできなくて悲しい時、
その人の気持ちに寄り添うように、涙が流れる。
でもそれは、その人のためでなくて、自分のために泣いている様な気がする。
過去の、自分の、納得できない思いが甦ってきて、
増幅する様な感じで、泣けて泣けて仕方がない。
でもそれが不思議なのは、いやな涙ではない。

できうれば、うまくいかなかったことでも、何とかうまく流れて欲しい。
自分の主義主張をねじ曲げる必要はないが、
自分の心持ちをちょっとずらしたり、向きを替えることで、
何とか相容れるようになったら、ありがたい。
人を思いやれること。
人を許すこと。
人の哀しみに寄り添えること。
ただ、だまってそばにいること。
喪失感を埋めるのはとても難しい。
ある意味、埋める必要などない。
だって本当に穴があいているのだから…。
あるがままに受け止めて、それでも先に行かなくては…。
でも、しばらくは、そこに佇んでいたっていいと思う。
できれば、
自分に
正直に生きていたい。

この映画を3回観ました。
上映会のシーンには、自分が会いたい人が、そこにいた様な気持ちになります。
みんないる。
いつだって、必要ならば、そばにいる。

この作品に出会えたことに、感謝いたします。
そして、撮影地に近くに住んでいることも…。
来年に向けて、ロケ地を訪ねて歩きたいと思います。
ありがとうございました。






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コメント 2

そうです、わたしがけんちゃんです。

 民間会社に就職した頃、「リゲイン」のCMが流れており、会社に泊まる日の夕方には、おどけながら「リゲイン」飲んだことが懐かしいです。
 私にとってのこの頃のドラマは、松田聖子のペンギンズバーの缶ビールと、“ふぞろいの林檎たち”です。
by そうです、わたしがけんちゃんです。 (2015-11-13 22:04) 

ぱらぽん

けんちゃん、そうですね。
Japanese businesman、夜中に息しているか、
確認しましたもん。そのくらい激務でした。
ペンギン缶集めたりしてました。
「ふぞろいの林檎たち」のBGMは、サザンですよね。
by ぱらぽん (2015-11-13 22:25) 

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