「藤枝おんぱく2016」No.88「旧東海道サムライウォーキング」約5km 歩きました! [NPO SACLABO & 藤枝おんぱく]
2016年6/4(土)8:30〜
藤枝駅北口に集合した「サムライ」たちは、
「静岡産業大学」の「ユニバーサルツーリズム論」の授業を
受講している学生さんたち。
その講師は、「山内達仁」さん(下の写真:右)
介護ヘルパーで、ぱらぽんが師匠と呼んでいる電車バスマニアな方です。
「藤枝おんぱく2016」No.88「旧東海道サムライウォーキング」
このプログラムは、カタコト多言語ツアーのため、
外国人及び外国人を含むグループが対象とのことで、
貴重な(?)外国人は、この方!
インドネシアから留学している「マド」くん(写真中央)。
ちなみに、インドネシア語で「これ何?」は
「Ini apa(イニ アパ)?」というそうです。
「Ini」が「これ」で、「 apa」が「何」です。
旧東海道の一里塚や宿場の跡、
今も残る松並木やゆるいくねくねカーブを体験して、
サムライや大名行列の通った旧東海道を、外国人に感じてもらい、
カタコトでいいので、多言語を意識しながらコミュニケーションを取る、
さらにおもてなしの心を育てられれば…といったもの。
途中路線バスも利用して、瀬戸→千才までの約5kmを歩き、
再び路線バスで岡部へ移動、「大旅籠柏屋」を見学します。
ぱらぽんは師匠の講義を見学したいと思っていたので、
記録係として参加しました。
「SAMURAI WALKING」っていうからさあ〜、
ちょっとがんばって、こんな感じ!?
刀(傘)を腰に差し、足下は地下足袋(SOUSOUなのよ!)風。
藤枝駅前①番乗り場から、「藤枝吉永線」にて「藤枝総合庁舎北」下車。
南に向かって、旧東海道に出ます。
旧東海道の目印は、街道沿いの「松」。
この地図でいうと「下青島松並木」から(東)右に向かって歩きます。
「東海道追分」の碑が。ここでマドくんから質問。
「東海道ってどこから始まっているの?」
ツアーを案内するってことは、
このエリアのことだけ知っていればいいというモノではない。
むしろ外国人が「これ何?」って思うことは、
我々にとっては、あたりまえの事柄が多い。
さらに、あたりまえのことを改めて説明しようとすると、これが難しい。
この日のツアーは、すぐにスマホに頼らない、ことになっているので、
何とか道中の標示物などを利用して、上手く答える訓練も…。
お次は、こちら。
「古東海道蹟」
昭和30年代までは、ここから西に瀬戸山の丘が続いていたそうな。
その山を越えて内瀬戸の集落まで細い道が続いていた、と。
その道は、旧東海道よりもさらに古い道なのだそう。
これがその道の名残。
これらの標示物は平成10年に、「青島史跡保存会」が立てたようです。
このようなサイト「志太の石碑・石仏巡り」を発見。
「青島史跡保存会の石碑」は、こちらから。
⑤六地蔵鏡池堂
「六地蔵等の由来」
お堂側から、ツアーを臨む。
以前「カーテン王国」の駐車場があったところの交差点。
キャッシングの看板が取り付けられている建物が、気になる。
思わず「せんせい〜! Ini apa?」
旧日本軍が…?
地域の防災倉庫かな?
いろいろ妄想しましたが、まだ答えは分かりません。
知っている人がいたら、教えてください。
お次は、こちら。
④「田中藩領木+旁示石蹟」
田中藩が他藩と接する領地が入り組んでいたため、
田中藩を示す木+旁示石を各所に立てていたとか。
その石のひとつは、西益津中敷地内にあるらしいです。
ここで、マドくんが「Ini apa?」
鳥居の札は、かろうじて「津島神社」と読めます。
「津島神社」って聞いたことはあるけれど、
改めて「何?」って訊かれたら…困る。
分からないときは、ひとまず「shirine(しゅらいん):神社」と答えておき、
後で家に帰って調べることも大事、と。
「津島神社」とは、日本中に「天王さん」と呼ばれる、
病気・災難除け、授福の神様がいますが、その総本山は、
愛知県津島市にあるそうです。
お祀りしているのは須佐之男命(すさのおのみこと)。
だそうです。
青木の五叉路の歩道橋です。
歩道橋はあまり使わなくなりましたね。
傷みもそれなりです。
上から見る景色。
旧東海道と旧国道1号線がクロスしています。
この山並みの向こうに、うっすら富士山が見えます。
また、松が見えますね。
「青木橋保育園」のところに「岡野繁蔵出生地」の碑を発見。
「岡野繁蔵」さんってご存じ?
20歳になったばかりの大正初期から、
オランダ領東インド(現・インドネシア)に渡り、
雑貨貿易と百貨店(千代田百貨店)経営にたずさわり、
わずか36歳にして「南洋の貿易王」と称されたそうな。
戦後は引き上げて、衆議院議員にまでなられたのだそうです。
「希望に起き感謝に眠れ」が座右の銘のようです。
立派な松です。
八百屋「本陣」さん、もうすぐリニューアルですね。
29日に茶町散策したエリアに入ってきました。
「秋葉神社」の常夜灯と
「志太一里塚蹟」です。
こちらは、瀬戸川の勝草橋。
このあたりの説明は、こちらもご参考に。
東海道藤枝宿の問屋場を説明する看板です。
おっと、ここで「上伝馬」バス停にバスが来ました。
皆さんで乗車「中部国道線」です。
「大旅籠柏屋前」で下車します。
顔はめ看板がありますよ!
「大旅籠柏屋」の入口にて。
あれ、人数増えてる?
この施設では、江戸時代の暮らしぶり、特に旅籠でのいろいろが
わかりやすく展示されています。
「銅貨」とお財布。
武士が泊まったお部屋は格が上です。
短い時間でしたが、ちょっと江戸時代にタイムスリップできました。
「中部国道線」で、藤枝駅まで戻ります。
「大旅籠柏屋」でもらったクリアファイルと、
山内先生が売店で買ってくれた「みそまん」!
歩いた後の甘いものは、うんめ〜な〜。
4時間あまりのツアーでしたが、
少しだけ「ユニバーサルツーリズム論」についても勉強できました。
外国人、高齢者、障がい者、いろいろな方々とのお出かけが、
ちょっとした心がけと思いやりで楽しくなるようにできるといいですね。
それにしても、藤枝のことで知らないことは
まだまだたくさんあるなあと思いました。
参加者の皆さん、山内先生、
ありがとうございました。
藤枝駅北口に集合した「サムライ」たちは、
「静岡産業大学」の「ユニバーサルツーリズム論」の授業を
受講している学生さんたち。
その講師は、「山内達仁」さん(下の写真:右)
介護ヘルパーで、ぱらぽんが師匠と呼んでいる電車バスマニアな方です。
「藤枝おんぱく2016」No.88「旧東海道サムライウォーキング」
このプログラムは、カタコト多言語ツアーのため、
外国人及び外国人を含むグループが対象とのことで、
貴重な(?)外国人は、この方!
インドネシアから留学している「マド」くん(写真中央)。
ちなみに、インドネシア語で「これ何?」は
「Ini apa(イニ アパ)?」というそうです。
「Ini」が「これ」で、「 apa」が「何」です。
旧東海道の一里塚や宿場の跡、
今も残る松並木やゆるいくねくねカーブを体験して、
サムライや大名行列の通った旧東海道を、外国人に感じてもらい、
カタコトでいいので、多言語を意識しながらコミュニケーションを取る、
さらにおもてなしの心を育てられれば…といったもの。
途中路線バスも利用して、瀬戸→千才までの約5kmを歩き、
再び路線バスで岡部へ移動、「大旅籠柏屋」を見学します。
ぱらぽんは師匠の講義を見学したいと思っていたので、
記録係として参加しました。
「SAMURAI WALKING」っていうからさあ〜、
ちょっとがんばって、こんな感じ!?
刀(傘)を腰に差し、足下は地下足袋(SOUSOUなのよ!)風。
藤枝駅前①番乗り場から、「藤枝吉永線」にて「藤枝総合庁舎北」下車。
南に向かって、旧東海道に出ます。
旧東海道の目印は、街道沿いの「松」。
この地図でいうと「下青島松並木」から(東)右に向かって歩きます。
「東海道追分」の碑が。ここでマドくんから質問。
「東海道ってどこから始まっているの?」
ツアーを案内するってことは、
このエリアのことだけ知っていればいいというモノではない。
むしろ外国人が「これ何?」って思うことは、
我々にとっては、あたりまえの事柄が多い。
さらに、あたりまえのことを改めて説明しようとすると、これが難しい。
この日のツアーは、すぐにスマホに頼らない、ことになっているので、
何とか道中の標示物などを利用して、上手く答える訓練も…。
お次は、こちら。
「古東海道蹟」
昭和30年代までは、ここから西に瀬戸山の丘が続いていたそうな。
その山を越えて内瀬戸の集落まで細い道が続いていた、と。
その道は、旧東海道よりもさらに古い道なのだそう。
これがその道の名残。
これらの標示物は平成10年に、「青島史跡保存会」が立てたようです。
このようなサイト「志太の石碑・石仏巡り」を発見。
「青島史跡保存会の石碑」は、こちらから。
⑤六地蔵鏡池堂
「六地蔵等の由来」
お堂側から、ツアーを臨む。
以前「カーテン王国」の駐車場があったところの交差点。
キャッシングの看板が取り付けられている建物が、気になる。
思わず「せんせい〜! Ini apa?」
旧日本軍が…?
地域の防災倉庫かな?
いろいろ妄想しましたが、まだ答えは分かりません。
知っている人がいたら、教えてください。
お次は、こちら。
④「田中藩領木+旁示石蹟」
田中藩が他藩と接する領地が入り組んでいたため、
田中藩を示す木+旁示石を各所に立てていたとか。
その石のひとつは、西益津中敷地内にあるらしいです。
ここで、マドくんが「Ini apa?」
鳥居の札は、かろうじて「津島神社」と読めます。
「津島神社」って聞いたことはあるけれど、
改めて「何?」って訊かれたら…困る。
分からないときは、ひとまず「shirine(しゅらいん):神社」と答えておき、
後で家に帰って調べることも大事、と。
「津島神社」とは、日本中に「天王さん」と呼ばれる、
病気・災難除け、授福の神様がいますが、その総本山は、
愛知県津島市にあるそうです。
お祀りしているのは須佐之男命(すさのおのみこと)。
だそうです。
青木の五叉路の歩道橋です。
歩道橋はあまり使わなくなりましたね。
傷みもそれなりです。
上から見る景色。
旧東海道と旧国道1号線がクロスしています。
この山並みの向こうに、うっすら富士山が見えます。
また、松が見えますね。
「青木橋保育園」のところに「岡野繁蔵出生地」の碑を発見。
「岡野繁蔵」さんってご存じ?
20歳になったばかりの大正初期から、
オランダ領東インド(現・インドネシア)に渡り、
雑貨貿易と百貨店(千代田百貨店)経営にたずさわり、
わずか36歳にして「南洋の貿易王」と称されたそうな。
戦後は引き上げて、衆議院議員にまでなられたのだそうです。
「希望に起き感謝に眠れ」が座右の銘のようです。
立派な松です。
八百屋「本陣」さん、もうすぐリニューアルですね。
29日に茶町散策したエリアに入ってきました。
「秋葉神社」の常夜灯と
「志太一里塚蹟」です。
こちらは、瀬戸川の勝草橋。
このあたりの説明は、こちらもご参考に。
東海道藤枝宿の問屋場を説明する看板です。
おっと、ここで「上伝馬」バス停にバスが来ました。
皆さんで乗車「中部国道線」です。
「大旅籠柏屋前」で下車します。
顔はめ看板がありますよ!
「大旅籠柏屋」の入口にて。
あれ、人数増えてる?
この施設では、江戸時代の暮らしぶり、特に旅籠でのいろいろが
わかりやすく展示されています。
「銅貨」とお財布。
武士が泊まったお部屋は格が上です。
短い時間でしたが、ちょっと江戸時代にタイムスリップできました。
「中部国道線」で、藤枝駅まで戻ります。
「大旅籠柏屋」でもらったクリアファイルと、
山内先生が売店で買ってくれた「みそまん」!
歩いた後の甘いものは、うんめ〜な〜。
4時間あまりのツアーでしたが、
少しだけ「ユニバーサルツーリズム論」についても勉強できました。
外国人、高齢者、障がい者、いろいろな方々とのお出かけが、
ちょっとした心がけと思いやりで楽しくなるようにできるといいですね。
それにしても、藤枝のことで知らないことは
まだまだたくさんあるなあと思いました。
参加者の皆さん、山内先生、
ありがとうございました。
2016-06-06 00:49
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