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映画「グスコーブドリの伝記」で、ヒデヨシに会えたっ!? [映画館へ行こう!]

2012年7/7(土)、七夕の日から始まった映画が、こちら。

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宮沢賢治原作の「グスコーブドリの伝記」です。
左は映画のパンフレット、右はキャラクター原案の「ますむら・ひろし」が、
1985年に出版した漫画「グスコーブドリの伝記」。

私事になりますが、ぱらぽんにとって、
漫画家の「いしいひさいち」と「ますむらひろし」は特別な存在。
この2人がいなかったら、三線おやじと一緒になってはいないから…。

1985年に作られた映画「銀河鉄道の夜」。
これも「ますむらひろし」が漫画化してきたネコのキャラクターを使って、
杉井ギサブロー監督が作りました。

この「グスコーブドリの伝記」の企画が立ち上がったのは、5年前だとか。
監督が3年掛けて、シナリオができあがり、
前作と同様、アニメーション制作会社「グループ・タック」によって
制作が開始されましたが…、
2010年7月、代表の田代敦巳氏が亡くなり、「グループ・タック」は解散。
制作途中の「グスコーブドリの伝記」は、新たな制作母体を探すことに。
そこで、名乗りを上げたのが、「手塚プロダクション」。
「世界がどうあろうと、自分はこう生きるんだ」
というテーマは、賢治も手塚も問いかけていることだと、引き受けました。
2011年2月から、新生「グスコーブドリの伝記」の制作がスタート!
その矢先、3月11日に…、東日本大震災が起こりました。
そして、手塚プロの清水義裕氏は、
「この映画を完成させることは、東北を再生させていくことへの
強いメッセージになる」と感じて、困難を乗り越えました。
(パンフレットを参考に書きました。)

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「ますむらひろし」は、山形県米沢市出身。
のち、デザイン学校に通うために、上京。
その後、千葉県野田市に住む。
賢治の「イーハトーブ」のように、米沢への想いをこめて「ヨネザアド」、
野田市の愛宕から「アタゴオル」という理想郷を生み出し、数々の作品を描く。
中でも「アタゴオル」の主人公「ヒデヨシ」は、
ビートルズをひらがなで歌い、何でも喰い、人への迷惑も気にしない…、
煩悩の固まりのようなものすごいパワフルなでぶネコ!
それでもなぜか憎めないキャラで、生命力にあふれている。

32年前の写真。
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ぱらぽんと、ますむらひろし氏。

1980年8/15、三線おやじと関東にいた。
野田市の駅前の公衆電話で、電話帳から「増村博(確か?)」を発見。
電話を掛けるという暴挙に…。
「行ってもいいですか?」という問いに、ますむら氏「いいですよ!」
それでは…、とお宅訪問した。
(当時から、突撃取材・潜入ルポの素質があったのかっ…!?) 
表札は、まな板を白く塗って描いたもので、ヒデヨシの絵があった。
「野田市 1/25000」の地図を持っていくと、
(ということは、準備してあったんですね~。我ながらスゴイ!)
ますむら氏は、大変面白がって、お願いしたら、サインをしてくれた。

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家の場所と、ヒデヨシも…。
(これは、我が家の家宝です。いつか鑑定団に出したいものです。)
一緒に撮った写真も、もう色あせちゃっていますが…。
32年ぶりにパンフレットで再開!
御髪の色は少々変わられましたが、雰囲気は変わってないですね~。
今でも、「魚釣りのサンバ」を歌ったり、
「ざろんがんわでんろ ざっつりーっつよどお~」
してるかなあ~。
今現在、どちらにお住まいかは存じ上げません。

話がずいぶん飛びまくりましたが、映画「グスコーブドリの伝記」
音楽は「小松亮太」。バンドネオンがこの映画に合っています。
そして、「小田和正」の主題歌「生まれくる子供たちのために」。
後半からラストは、止めどなく涙があふれて…。
「私たちの地球を…、守らなくては…。」
これが、観賞後のぱらぽんの感想。

「グスコーブドリの伝記」オフィシャルサイトは、こちら

この作品、宮沢賢治の原作に忠実とは言えないかも…。
ますむらひろしの漫画の方が、原作に近いです。
念のため、記しておきます。

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