藤枝「白子町」を歩く 「石上亮と行く 家康公ツアー」レポート その1 [『家康公ツアー2015』]
2015年5/2(土)「藤枝おんぱく2015」No.53
「石上亮と行く 家康公ツアー 『藤枝桐ダンス会席弁当』付き」
いよいよ本番の日がやってまいりました。
今回のツアーでは、ぱらぽんも「草の者」的な役回りをしておりましたので、
充分に写真が撮れなかったのでありますが、
参加者の皆さんからラブリーな写真&動画をいただきながら、
記録して行きたいと思いまする。
では、そのレポートのはじまりはじまり…。
時は、5/2の朝 8:23、藤枝駅北口にて、
満面の笑みにて、近づいてくる武将ありっ!
誰あろう…!?
そのお方は…、
いよ〜っ!?
本日のメイン案内人「石上亮」!
この日の役回りは…!?
「本多…」?「家康公…」?それとも…???
いずれにしても、『殿』役であることは、間違いない!
なんで満面の笑みだったかというと、この日は珍しく、
ぱらぽんも衣装を着てなりきって(!?)いたので、
そのことにウケまくっていたらしい。
それがこちら。
(一応、珍しい「石上亮」とのツーショットとしておこう。てれ。)
この日は、誰を演じているのか?噂になっていた
藤枝市出身の俳優「石上亮」!
(今だから明かすが、実は、世を忍ぶ仮の名、
「鶴田亀之介」というキャラも検討されていたとか!?
ほら、陣羽織に「鶴」と「亀」がいたでしょ!?)
さて、このツアーの参加者の皆さま!意気込みがすごいっ!
受付開始時間9:00には、もうすでに全員集合!
受付業務完了!
お陰さまで!?着物率も高いです。
時間があるので、まずは、ドトールさん前にて記念撮影!
『殿』を中心に、絵になりますなあ〜!
皆さん元気に参りましょう!
順次、スタッフの紹介も交えて参ります。
まずは、中村二郎三郎佳晴!
「殿」の家来、立ち居振る舞いが「草の者」風!?
衣装がばっちり決まっています。
(後に、「お庭番」風にキャラが変化!?)
9:20 しずてつジャストライン「中部国道線」に乗り込みます。
この日は、蓮華寺池公園でも「藤まつり」開催中に付き、
乗客がたくさん!
見慣れない武将も乗っているので、目がテン!な、お客様も…。
バス運賃230円にて、「白子」バス停に到着。
ぱらぽんは「路線バス」の応援もしているため、
担当ツアーでは、なるべく「路線バス」を取り入れています。
ただし、旅行業法の都合上、ツアー料金にバス代を含めることができないので、
各自お払いいただくシステムになっています。
「白子」バス停にて下車!
まずは、こちらで、本日の兵糧?を配りました。
「藤枝かおり」のペットボトルと「朝比奈ちまき」!
「家康公」・「伊賀越え」ゆかりの「小川孫三」の子孫が住む「白子町」にて。
藤枝市観光協会の多々良孝雄さんに「小川家」のお墓を案内していただきました。
まず、見せていただいたのが、
小川家に伝わる「御朱印状」の写し。
用意したスピーカーがうまく使えなかったので、
多々良さんのおっしゃることを、かみ砕き分かりやすく、
「殿」がいつもながらの大きな声で、説明してくれました。
次に向かったのは、小川家の菩提寺「了善寺」さん。
ここには、「小川孫三」以降の代々のご先祖を祀ってあります。
お次は、「白子名店街」の中で「ミシンの三協」種子島さん。
こちらのご先祖は、1543年鉄砲の伝来、
漂流したポルトガル人から鉄砲を買った「種子島 時尭(たねがしま ときたか)」。
お話をしてくださった「種子島」さんのご先祖は、鹿児島で、
「種子島」さんの下のお名前は、「時保(ときやす)」さん。
「殿」がこのお話を聞き出したとき、
「お〜っ!」と、どよめきが起こりました。
後日談ですが(翌日、お礼を言いに伺って、お母さまに聞きました)、
「種子島」家では、次男までは「時」の字を使った名前を命名することになっているそう。
時保さんが生まれた時、お母さまは、
「もうこちらで暮らしている普通のうちなのだから、
一般的な名前を付けたい」とおっしゃったそうでしたが、
ご主人は、どうしても「時」を付けるとおっしゃって命名されたのだそうです。
「白子町」には、すごい人々が住んでいらっしゃるのですね〜。
列の後ろの方では、お姿が見えず、お声も…。
申し訳ございません。
ちょうど「白子名店街」では、「百円笑店街」を開催中!
とてもにぎわっていました。
藤色の「徳川家康公ゆかりの藤枝 〜顕彰四百年〜」のバナーが
珍しがられました。
御一行は、一路「田中城跡」へ。
「曽根ざえもん」のご友人、小沢くんも書生スタイルでご参加。
男性も着物を着たい!ニーズは確実にあるそうです。
来年は、そのへんも考慮したツアーにしたいものだ。
(えっ!?もうやる気?)
団体なので、あえて歩道橋を選択!
歩道橋を渡り、しばし街を俯瞰で眺めます。
白子町界隈は、「白子名店街」である町家商家街の他、
侍屋敷や足軽屋敷の街としての風情が残っています。
「田中城跡」に向かう途中に、「姥ヶ池(うばがいけ)」と呼ばれる池があります。
大手口である松原木戸の南側約200m程の所にある池で、
その形から別名を「ひょうたん池」とも言われます。
田中城の上水道の源泉で、外堀の上を樋にて城内に流して
飲料水としていたそうです。
田中城では最も良いとされた水だったそうです。
明治時代も田んぼの用水としていました。
湧き水であり、旱魃のときも少しも減らなったとか。
城内で乳母が誤って子供を落とし、
城主の怒りを恐れて自らも身を投げて死んだことから
「姥ヶ池」と呼ばれることになったそうな…。
今でもきれいな水が豊富に湧き出していて、水道にも利用されているとも。
池の中に沈められている丸い物は、「藤枝大祭」などの屋台の車輪。
これは木製なので、そのまま保管すると乾燥で割れてしまうので、
きれいな水が湧き出るこの池の中に沈めて、保管しています。
「大手」「郡一」「栄区」「保福島」「市部一」「下伝馬」の立て札が見えます。
ここの藤は、珍しい八重咲き!
さわやかな藤の香りが漂っていました。
この日の行程は、こんな感じ。
「田中城跡」へのまち歩きは、次回に続く…。
後で、写真等を入手いたしましたら、書き足します。
「石上亮と行く 家康公ツアー 『藤枝桐ダンス会席弁当』付き」
いよいよ本番の日がやってまいりました。
今回のツアーでは、ぱらぽんも「草の者」的な役回りをしておりましたので、
充分に写真が撮れなかったのでありますが、
参加者の皆さんからラブリーな写真&動画をいただきながら、
記録して行きたいと思いまする。
では、そのレポートのはじまりはじまり…。
時は、5/2の朝 8:23、藤枝駅北口にて、
満面の笑みにて、近づいてくる武将ありっ!
誰あろう…!?
そのお方は…、
いよ〜っ!?
本日のメイン案内人「石上亮」!
この日の役回りは…!?
「本多…」?「家康公…」?それとも…???
いずれにしても、『殿』役であることは、間違いない!
なんで満面の笑みだったかというと、この日は珍しく、
ぱらぽんも衣装を着てなりきって(!?)いたので、
そのことにウケまくっていたらしい。
それがこちら。
(一応、珍しい「石上亮」とのツーショットとしておこう。てれ。)
この日は、誰を演じているのか?噂になっていた
藤枝市出身の俳優「石上亮」!
(今だから明かすが、実は、世を忍ぶ仮の名、
「鶴田亀之介」というキャラも検討されていたとか!?
ほら、陣羽織に「鶴」と「亀」がいたでしょ!?)
さて、このツアーの参加者の皆さま!意気込みがすごいっ!
受付開始時間9:00には、もうすでに全員集合!
受付業務完了!
お陰さまで!?着物率も高いです。
時間があるので、まずは、ドトールさん前にて記念撮影!
『殿』を中心に、絵になりますなあ〜!
皆さん元気に参りましょう!
順次、スタッフの紹介も交えて参ります。
まずは、中村二郎三郎佳晴!
「殿」の家来、立ち居振る舞いが「草の者」風!?
衣装がばっちり決まっています。
(後に、「お庭番」風にキャラが変化!?)
9:20 しずてつジャストライン「中部国道線」に乗り込みます。
この日は、蓮華寺池公園でも「藤まつり」開催中に付き、
乗客がたくさん!
見慣れない武将も乗っているので、目がテン!な、お客様も…。
バス運賃230円にて、「白子」バス停に到着。
ぱらぽんは「路線バス」の応援もしているため、
担当ツアーでは、なるべく「路線バス」を取り入れています。
ただし、旅行業法の都合上、ツアー料金にバス代を含めることができないので、
各自お払いいただくシステムになっています。
「白子」バス停にて下車!
まずは、こちらで、本日の兵糧?を配りました。
「藤枝かおり」のペットボトルと「朝比奈ちまき」!
「家康公」・「伊賀越え」ゆかりの「小川孫三」の子孫が住む「白子町」にて。
藤枝市観光協会の多々良孝雄さんに「小川家」のお墓を案内していただきました。
まず、見せていただいたのが、
小川家に伝わる「御朱印状」の写し。
用意したスピーカーがうまく使えなかったので、
多々良さんのおっしゃることを、かみ砕き分かりやすく、
「殿」がいつもながらの大きな声で、説明してくれました。
次に向かったのは、小川家の菩提寺「了善寺」さん。
ここには、「小川孫三」以降の代々のご先祖を祀ってあります。
お次は、「白子名店街」の中で「ミシンの三協」種子島さん。
こちらのご先祖は、1543年鉄砲の伝来、
漂流したポルトガル人から鉄砲を買った「種子島 時尭(たねがしま ときたか)」。
お話をしてくださった「種子島」さんのご先祖は、鹿児島で、
「種子島」さんの下のお名前は、「時保(ときやす)」さん。
「殿」がこのお話を聞き出したとき、
「お〜っ!」と、どよめきが起こりました。
後日談ですが(翌日、お礼を言いに伺って、お母さまに聞きました)、
「種子島」家では、次男までは「時」の字を使った名前を命名することになっているそう。
時保さんが生まれた時、お母さまは、
「もうこちらで暮らしている普通のうちなのだから、
一般的な名前を付けたい」とおっしゃったそうでしたが、
ご主人は、どうしても「時」を付けるとおっしゃって命名されたのだそうです。
「白子町」には、すごい人々が住んでいらっしゃるのですね〜。
列の後ろの方では、お姿が見えず、お声も…。
申し訳ございません。
ちょうど「白子名店街」では、「百円笑店街」を開催中!
とてもにぎわっていました。
藤色の「徳川家康公ゆかりの藤枝 〜顕彰四百年〜」のバナーが
珍しがられました。
御一行は、一路「田中城跡」へ。
「曽根ざえもん」のご友人、小沢くんも書生スタイルでご参加。
男性も着物を着たい!ニーズは確実にあるそうです。
来年は、そのへんも考慮したツアーにしたいものだ。
(えっ!?もうやる気?)
団体なので、あえて歩道橋を選択!
歩道橋を渡り、しばし街を俯瞰で眺めます。
白子町界隈は、「白子名店街」である町家商家街の他、
侍屋敷や足軽屋敷の街としての風情が残っています。
「田中城跡」に向かう途中に、「姥ヶ池(うばがいけ)」と呼ばれる池があります。
大手口である松原木戸の南側約200m程の所にある池で、
その形から別名を「ひょうたん池」とも言われます。
田中城の上水道の源泉で、外堀の上を樋にて城内に流して
飲料水としていたそうです。
田中城では最も良いとされた水だったそうです。
明治時代も田んぼの用水としていました。
湧き水であり、旱魃のときも少しも減らなったとか。
城内で乳母が誤って子供を落とし、
城主の怒りを恐れて自らも身を投げて死んだことから
「姥ヶ池」と呼ばれることになったそうな…。
今でもきれいな水が豊富に湧き出していて、水道にも利用されているとも。
池の中に沈められている丸い物は、「藤枝大祭」などの屋台の車輪。
これは木製なので、そのまま保管すると乾燥で割れてしまうので、
きれいな水が湧き出るこの池の中に沈めて、保管しています。
「大手」「郡一」「栄区」「保福島」「市部一」「下伝馬」の立て札が見えます。
ここの藤は、珍しい八重咲き!
さわやかな藤の香りが漂っていました。
この日の行程は、こんな感じ。
「田中城跡」へのまち歩きは、次回に続く…。
後で、写真等を入手いたしましたら、書き足します。
2015-05-03 11:58
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